日本における化粧の歴史①~日本の化粧の始まり~

日本の化粧の始まりと言えば、いつからだろうか。

この問いを発端に、今回のブログではこれまでのテイストと異なり、日本における化粧の成り立ちについて書いていきたい。調べてみるまでは知らなかったのだが、化粧という慣習(スキンケアに限らずメイク等を含む化粧)は、日本の文化に深く根付いている。今回は、化粧の始まりから、化粧の3つの色について説明したい。なお、ブログを書くにあたっては、山村博美『化粧の日本史』を参考にしている。

現在確認されている日本最古の化粧は、3世紀にまでさかのぼる。中国や朝鮮などの大陸文化から、文字・政治・宗教・生活様式などと一緒に、化粧がもたらされた。当時の化粧は、朱丹(しゆ)という水銀朱などの赤い顔料を顔や体に塗る「赤の化粧」が主であったと考えられている。赤は太陽や血液に象徴される色であることから、現代的な”おしゃれ”のための化粧ではなく、”呪術的”な意味や”魔除け”の意味があったと考えられている。また、一部の地域では、歯を黒くする”お歯黒”の「黒の化粧」も行われていたとされる。

次に登場するのが「白の化粧」、白粉である。これは、7世紀頃には日本に広まっていた。肌を白くする白粉は、美人の条件であり、白粉で肌を白く塗ったあとに、頬紅を赤くつける化粧が流行していた。こういった美意識の変化は、中国などの大陸の影響を受けている。この時代になると、これまでの”呪術的”な意味や”魔除け”といった意味よりも”おしゃれ”の意味が強くなっていたことが想像できる。

簡単ではあるが、ここまでで日本における化粧の始まりと化粧の3つの色について説明した。次回のブログでは、その化粧が日本においてどのように発展していったのかを説明したい。

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